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1: 砂漠のマスカレード ★ 2021/01/31(日) 12:54:37.13 ID:CAP_USER9
【球界平成裏面史特別編 松永氏を直撃(3)】“史上最高のスイッチヒッター”松永浩美は平成5年(1993年)オフに阪神からFA宣言し、ダイエー(現ソフトバンク)に移籍した。わずか1年で嵐のように立ち去ったが、その過程では阪神側のあまりにお粗末な交渉と、ダイエー・根本陸夫監督の「口技」の妙の違いが浮き彫りになった。松永がダイエー入りを即決した理由とは――。

 ――平成5年は離脱、復帰を繰り返し、80試合で打率2割9分4厘、8本塁打に終わった。11月2日にFA宣言し、最初に阪神との交渉に臨んだ

 松永氏 私は選手会の改革委員としてFA制度を作ったんです。こんな交渉の仕方がある、という事例を作りたかった。球団も私もお互い初めてのことだし、戸惑いました。私をどう考えているんですか?と聞いたら、球団側は「来年も3番でサードです」とだけ話してくれて簡単に終わったんです。

 ――熱心な慰留は…

 松永氏 そんなのない。淡々とした感じで「何これ? こんなんじゃ話ができない」と思った(笑い)。FA自体に戸惑っていたんじゃないですかね。宣言した時点で、もういいよ、みたいな。お金の話にも全然ならなくてビックリした。複数年とか金額とか、熱意は見えなかったですね。普通の契約で、その先はないの?というね。

 ――選手会としてFA1号になるという思いも

 松永氏 阪神が嫌いなわけでも何でもないし、聞いた上で考えるつもりでした。ただ、統一契約書の中身を変えたいということで労組をつくったわけでしょ。なのに中身をなかなか変えようとしない労組に業を煮やして落合(博満)さんが脱退した。変えるにはFA制度を取り入れないといけないから提案したことなんですね。条件をつければ選手のためになる。自分のこと半分、選手会のこと半分という気持ちでした。

 ――他球団と交渉は

 松永氏 いくつかテーブルに着いたけど、着いてないことになっている(笑い)。阪神、ダイエーとあと2つ。オフレコにしてくれと言われていました。ただ、私の評価じゃなくて「向こう(ヨソ)はなんて言っていた?」みたいな…。そうじゃないでしょ。

 ――そんな中でダイエーからは誠意が伝わってきた

 松永氏 最初は断ろうかな、と思って行ったんです。そうしたら円卓の根本さんがいきなり立って両手をつかれた。ヨソとの比較は一切なく「ウチはこういうことに取り組みたい。きみが苦労しているのは知っている。だからもう一回苦労してくれないか、この俺と」と言われたんです。「いやいや、頭上げてください」って。お金の話はその日はなかったですね。

 ――意気に感じ、すぐに腹を決めた

 松永氏 チームのビジョン、私の役割を明確に言われました。他の球団は「あそこが行くならウチも手を挙げようか」「あそこに行かれるならウチが獲ろう」みたいな感じでしたね。選手は今の球団が嫌いとか、そういう感覚ではなく、男として「俺ってどれくらいの価値があるんだろう」というのを知りたいもの。自分が生きる出て行き方もあるし、何を優先するかといったら球団のビジョン、私の役割、どこに期待しているか、それで金額を言ってくれたら納得できる。

 ――一方で阪神ファンにすれば、後足でそれこそ「砂」をかけて出て行ったように見えたかも

 松永氏 そう見えたら見えたでいいですよ。一回色がついたら私も消す気はない。私は「松永」を演じていたんです。地元が北九州なんでデビューしたころ「北九州まで記事が届くにはどうすればいいか」を考えた。真面目な話を一生懸命話しても記事にならない。でもある日、不快指数がたまって生意気なことを言ったらパーッと記事になった(笑い)。これだ、こうじゃないといけないのか、これはこれでいいかって。だから「どっちが本当の松永さんなの?」って言われますもん。引退して「イメージ違いますね」って。

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