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631: どうですか解説の名無しさん (ワッチョイ 227f-GkkP [61.7.51.179]) 2022/02/14(月) 18:16:04.13
元ソフトバンク倉野信次氏、米マイナーリーグでコーチ研修「自分を見つめ直すいい機会に」

ソフトバンクのファーム投手統括コーチなどを務め、昨年11月に退団した倉野信次氏(47)が米大リーグ・レンジャース傘下のマイナーリーグでコーチ研修することが決まった。14日、倉野氏は「米国でいろんなことを学んで、本場の野球を肌で感じたい。つらいこともあると思うが、自分を見つめ直す意味でもいい機会にしたい」と話した。

19日に渡米し、アリゾナ州でのマイナーキャンプに合流する。研修期間は今季終了までの予定。


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351: どうですか解説の名無しさん (ワッチョイ 8784-4ess [60.149.122.225]) 2021/12/06(月) 18:19:14.03
倉野アメリカ行きだってさ

>>351
これね

元ソフトバンク倉野信次氏が米国留学へ「日本一の投手コーチになるために」(日刊スポーツ)

 今季までソフトバンクのファーム投手統括コーチを務めた倉野信次氏(47)が6日、来季から米国でのコーチ留学に挑むことを明かした。

「3年くらい前から米国でコーチングを学びたいと思っていた。見たり聞いたりするのではなく、実際に現地で自分が経験したいと思っていた」と話した。留学先はまだ未定ながらメジャー球団を中心にコーチングを学ぶ考えだ。

倉野氏は96年ドラフト4位で青学大からダイエー(現ソフトバンク)に入団。プロ5年目の01年に7勝を挙げ、ダイエー最終年となった04年には37試合に登板。自己最多の9勝をマークし「谷間の花」と呼ばれた。ソフトバンク3年目の07年オフに現役を引退。通算成績は19勝9敗、防御率4・59。引退後はフロント入りし、2軍投手コーチ補佐、3軍投手コーチ、1軍投手統括コーチなど全軍での投手部門コーチを務めてきた。

「プロ入りから25年間、ホークスにお世話になった。自分の人生の半分以上。将来的に日本一の投手コーチになるために、しっかり勉強したい」。8日には1年半の月日を費やして投手の育成論を書き上げたという初の自著「魔改造はなぜ成功するのか」(KADOKAWA)も出版される。

ホークス一筋で生きてきた男が、野球の「母国」で新たなコーチ修行に乗り出す。


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1: 風吹けば名無し 2021/10/28(木) 20:01:01.00
「日本で一番のピッチングコーチと呼ばれるようになりたい」。

今季限りで退団するソフトバンクの倉野信次ファーム投手統括コーチ(47)が28日、自ら球団に辞意を申し入れた理由を明かした。

「僕自身、もっとコーチとしてのスキルアップを図らなければいけないという思いがあった。今のままでいい部分もあるし、もっと勉強しなければいけない部分もある。他の球団はどうなのかも知りたい。自分がもっと成長するためにはいろんな経験しないといけないと思った」

09年に2軍投手コーチ補佐に就任。11年から新設の3軍で投手コーチとなり、主に若手育成に尽力してきた。工藤前監督が就任した15年は2軍投手チーフコーチ、16年から19年まで1軍投手統括コーチなど常勝チームの投手育成を支えてきた。

特に11年は当時高卒の育成選手で入ってきた千賀を密着指導。自ら自転車に乗って走り込みに付き合うなど鍛え上げ、日本のエース格にまで育てた。メディアでは「千賀を育てたコーチ」として騒がれた。「千賀を育てたと言われますけど、たまたまですよ。たまたま僕がいたときに千賀がいただけ。でもそういう出会いには恵まれたなと思います。だから逆に僕は千賀に感謝してます。僕の名前を広めてくれたわけですから」と優しい笑顔を浮かべる。

10年にプエルトリコで行われたウインターリーグで、指導者としての考え方が変わった。「海外の野球、コーチングを見られたこと。海外で生活する大変さを知れたことが僕の転機だった」。初めて訪れるプエルトリコの街。2カ月のうち、初めの1カ月は恐怖で外出もできなかった。「ここは大丈夫なんだなと思って初めて外が歩けるようになったんですよ」。岩崎翔投手、16年で現役引退した大場翔太投手とともに、異国の地で苦楽をともにした。未知の世界での経験が、向上心をかきたてたという。


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1: 風吹けば名無し 2021/10/28(木) 06:54:17.65
ソフトバンクの倉野信次ファーム投手統括コーチ(47)が今季限りで退団することが27日、分かった。

球団側に辞意を申し入れこの日までに了承された。

青学大から96年ドラフト4位でダイエー入り。5年目の01年に34試合に登板し7勝を挙げ、ダイエー最終年の04年は37試合で自己最多の9勝をマークした。07年限りで引退し、11年間で通算19勝9敗、防御率4・59の成績を残した。

引退後は球団のチーム運営部を経て09年に2軍投手コーチ補佐に就任。11年から新設の3軍で投手コーチとなり、主に若手育成に尽力した。工藤監督が就任した15年は2軍投手チーフコーチ、16年から19年まで1軍投手統括コーチなど常勝チームの投手育成を支えてきた。選手、フロント、コーチとして通算25年間、ホークス一筋で貢献した。

工藤監督の退任に加え、すでに退団が決定している立花義家(63)、平石洋介(41)の両1軍打撃コーチ、さらに倉野コーチの退団で、ホークスは大幅な組閣人事に着手することになる。1軍監督は藤本博史2軍監督(57)が昇格し、森浩之3軍監督(56)が2年ぶりにヘッドコーチに復帰。今季限りで現役を引退した長谷川勇也氏(36)が1軍打撃コーチに就任する。1軍投手コーチには斉藤学リハビリ担当コーチ(58)が復帰予定で、1軍ブルペンを担当した高村祐投手コーチ(52)は2軍投手コーチに配置転換される方向だ。


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