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1: 2022/04/15(金) 01:46:44.19 ID:zs6bk7N90
今だにワイの中の天才打者といえば吉永や

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1: それでも動く名無し 2022/04/11(月) 09:17:33.94
完全試合が出たならそろそろ三冠王もと思うんやが🤔

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1: 風吹けば名無し 2022/03/29(火) 11:02:35.74
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試合ハイライト↓

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2003年(プロ1年目)
投球回189.0 防御率3.38 14勝5敗 勝率.737 奪三振195 完投8 完封2 与四球61 WHIP1.20

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1: 風吹けば名無し 2021/08/12(木) 12:47:19.17
ペドラザ
NPB通算5年間(1999年~2003年)
試合194 投球回202 12勝12敗 セーブ117 防御率2.99 WHIP 1.11
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1: 風吹けば名無し 2021/07/05(月) 22:15:40.40 ID:yGGkH2/X0
ダイエーホークス時代の成績
aaa

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1: 風吹けば名無し 2021/02/16(火) 12:28:57.98 ID:/iGMOO12d
内之倉

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1: 風吹けば名無し 2021/02/04(木) 11:47:53.75 ID:Z0nF7aR5a
あと完全試合が槙原のみもおかしい

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1: 風吹けば名無し 2020/12/11(金) 06:46:59.61 ID:GN2yGXKkr
no title

強すぎやろ…

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1: 風吹けば名無し 2020/12/15(火) 21:53:36.23 ID:AidjXRCJ0
いま成績みたけどこいつおかしいやろ

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1: 風吹けば名無し 2020/10/12(月) 18:14:24.65 ID:n/AyW8anM
若田部

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1: 風吹けば名無し 2020/09/23(水) 00:24:18.99 ID:g0WxoWnxd
当時はまだあまり福岡に根付いてなかった?

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1: 風吹けば名無し 2021/01/27(水) 09:01:15.31 ID:NJj6LtMHp
プロが見たら大谷ってやっぱワンランク下なんやな

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1: 風吹けば名無し 2021/02/04(木) 05:27:38.62 ID:Wjg8QMvr0
基本的にはナンバー1で立ちはだかるとしたら古田敦也くらいでそれでも2位や
他に相手になるやつはおらん

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1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/12/24(木) 08:03:04.56 ID:CAP_USER9
2003年のオープン戦で靭帯を断裂した小久保、アメリカでの手術を行うが…

 2020年のプロ野球はソフトバンクが圧倒的な強さを見せつけ日本シリーズ4連覇を飾った。投打でスター選手を揃え12球団随一の育成力で“常勝軍団”を作り上げたが、ホークスの福岡移転となった1988年は苦しいスタートだった。当時、ダイエーの球団経営に携わり球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏が福岡移転の真相、王貞治監督誕生など当時を振り返る。最終回はホークスを変えた男・小久保裕紀。

 1993年のドラフト1位で入団した小久保裕紀は間違いなくホークスを変えた男だった。中内オーナー、根本陸夫監督が熱望し獲得した将来の幹部候補について瀬戸山氏は「誰よりも練習する姿、チームを引っ張るリーダーシップ、そして実力もこれ以上にない男」と目を細める。

 プロ2年目の1995年には28本塁打を放ち本塁打王のタイトルを獲得。その後も主軸としてチームに無くてはならない存在となったが2003年に球界を揺るがす事件が起こった。

 同年のオープン戦で本塁へ突入した際に右膝の靭帯を断裂するなど大ケガを負う。球団からは当初、全額負担でアメリカでの手術を承諾したが「あの話はなかったことにしてくれ」と急転。その他にも当時の球団社長に冷遇されるなどフロントに不信感を抱いた小久保は同年オフに退団することを決意する。

「手術の費用が出せない件も私が伝える役割だった。心苦しかった。納得できない部分は誰もが分かっていたが本人は『選手会長として僕は見過ごすことはできない。もうこの球団ではできません』と。その後、巨人の渡邉恒雄さんに話を持っていき巨人とのトレードが決まった。こちらからお願いした立場、誰かと交換してくれという訳にもいかなかった。小久保も膝を断裂して来季活躍する補償はどこにもなかった」

今年からヘッドコーチで小久保氏が球団に復帰「本当に喜ばしいこと」
 小久保が不在の中、皮肉にもチームは阪神を破り日本一に輝く。だが、その裏で“ミスターホークス”と呼ばれた男はチームを去ることを決断し巨人との無償トレードが決まった。

「トレードの話を伝えるのも僕の役目だった。これまで長い付き合いで小久保のこともよく知っている。もう、私も辞める決意ができていた。こんな状況はあまりにも酷かった。だから『小久保、もう飲みに行こう』と誘い巨人へのトレード話を伝えました」

 2人は福岡・西新の飲食店で濃密な時間を過ごした。小久保はその翌日に記者会見を開き、巨人への無償トレードが発表された。中内オーナー、根本陸夫、王貞治らと共にチームの基盤を作った瀬戸山氏のホークス最後の仕事はチームの精神的支柱だった男へのトレード通達だった。

 このトレードはチーム内でも波紋を呼び同年の優勝旅行をボイコット、ファンからの信頼も失うことになった。それでも、紆余曲折を経て小久保は2006年オフにFA宣言でホークスに復帰。2012年に引退すると、その後は侍ジャパンの監督に就任するなど球界を支え来年からはヘッドコーチとしてソフトバンクホークスに指導者として復帰することになった。

「王イズムを受け継いだ小久保が指導者として戻ってきたことは本当に喜ばしいこと。今シーズン終盤まで優勝争いを繰り広げたロッテには井口監督がいる。これからも球界を盛り上げていってもらいたい。私はもうプロ野球に関わっていませんが陰ながら応援していきたい」

 プロ野球界に足を踏み入れ、経営者としての立場としてもホークスが“常勝軍団”になる過程を歩んできた瀬戸山氏。南海の買収、王貞治氏の招聘など大役を全うした男は、これからもホークスの成長を見守っていく。

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1: 風吹けば名無し 2021/01/18(月) 19:10:06.55 ID:2ZzR7kcDM
松中

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1: 砂漠のマスカレード ★ 2021/01/31(日) 12:54:37.13 ID:CAP_USER9
【球界平成裏面史特別編 松永氏を直撃(3)】“史上最高のスイッチヒッター”松永浩美は平成5年(1993年)オフに阪神からFA宣言し、ダイエー(現ソフトバンク)に移籍した。わずか1年で嵐のように立ち去ったが、その過程では阪神側のあまりにお粗末な交渉と、ダイエー・根本陸夫監督の「口技」の妙の違いが浮き彫りになった。松永がダイエー入りを即決した理由とは――。

 ――平成5年は離脱、復帰を繰り返し、80試合で打率2割9分4厘、8本塁打に終わった。11月2日にFA宣言し、最初に阪神との交渉に臨んだ

 松永氏 私は選手会の改革委員としてFA制度を作ったんです。こんな交渉の仕方がある、という事例を作りたかった。球団も私もお互い初めてのことだし、戸惑いました。私をどう考えているんですか?と聞いたら、球団側は「来年も3番でサードです」とだけ話してくれて簡単に終わったんです。

 ――熱心な慰留は…

 松永氏 そんなのない。淡々とした感じで「何これ? こんなんじゃ話ができない」と思った(笑い)。FA自体に戸惑っていたんじゃないですかね。宣言した時点で、もういいよ、みたいな。お金の話にも全然ならなくてビックリした。複数年とか金額とか、熱意は見えなかったですね。普通の契約で、その先はないの?というね。

 ――選手会としてFA1号になるという思いも

 松永氏 阪神が嫌いなわけでも何でもないし、聞いた上で考えるつもりでした。ただ、統一契約書の中身を変えたいということで労組をつくったわけでしょ。なのに中身をなかなか変えようとしない労組に業を煮やして落合(博満)さんが脱退した。変えるにはFA制度を取り入れないといけないから提案したことなんですね。条件をつければ選手のためになる。自分のこと半分、選手会のこと半分という気持ちでした。

 ――他球団と交渉は

 松永氏 いくつかテーブルに着いたけど、着いてないことになっている(笑い)。阪神、ダイエーとあと2つ。オフレコにしてくれと言われていました。ただ、私の評価じゃなくて「向こう(ヨソ)はなんて言っていた?」みたいな…。そうじゃないでしょ。

 ――そんな中でダイエーからは誠意が伝わってきた

 松永氏 最初は断ろうかな、と思って行ったんです。そうしたら円卓の根本さんがいきなり立って両手をつかれた。ヨソとの比較は一切なく「ウチはこういうことに取り組みたい。きみが苦労しているのは知っている。だからもう一回苦労してくれないか、この俺と」と言われたんです。「いやいや、頭上げてください」って。お金の話はその日はなかったですね。

 ――意気に感じ、すぐに腹を決めた

 松永氏 チームのビジョン、私の役割を明確に言われました。他の球団は「あそこが行くならウチも手を挙げようか」「あそこに行かれるならウチが獲ろう」みたいな感じでしたね。選手は今の球団が嫌いとか、そういう感覚ではなく、男として「俺ってどれくらいの価値があるんだろう」というのを知りたいもの。自分が生きる出て行き方もあるし、何を優先するかといったら球団のビジョン、私の役割、どこに期待しているか、それで金額を言ってくれたら納得できる。

 ――一方で阪神ファンにすれば、後足でそれこそ「砂」をかけて出て行ったように見えたかも

 松永氏 そう見えたら見えたでいいですよ。一回色がついたら私も消す気はない。私は「松永」を演じていたんです。地元が北九州なんでデビューしたころ「北九州まで記事が届くにはどうすればいいか」を考えた。真面目な話を一生懸命話しても記事にならない。でもある日、不快指数がたまって生意気なことを言ったらパーッと記事になった(笑い)。これだ、こうじゃないといけないのか、これはこれでいいかって。だから「どっちが本当の松永さんなの?」って言われますもん。引退して「イメージ違いますね」って。

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1: 神様仏様名無し様 2019/12/10(火) 20:33:54.88 ID:GQyWyHBt
もしも秋山幸二がメジャーに行っていたら?

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1: 風吹けば名無し 2020/12/20(日) 12:53:37.17 ID:iIHtVMc70
通算224勝142敗
最優秀防御率:4回 最高勝率:3回 最多奪三振:2回
MVP2回:1993、1999(西武・ダイエーで1度ずつ) ベストナイン:3回 最優秀投手:1回
ゴールデングラブ賞:3回
日本シリーズMVP2回:1986、1987
優勝請負人

凄過ぎるわ

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1: 征夷大将軍 ★ 2021/01/29(金) 08:27:11.68 ID:CAP_USER9
ベースボールキング2021.01.29


まずは横浜大洋の後身・「横浜ベイスターズ」から。現在もDeNAに在籍しているのは、意外にも国吉佑樹と育成契約の田中健二朗の2人だけとなっている。なお、チームを去った出身選手と言うと、筒香嘉智(レイズ)と山口俊(ブルージェイズ)のメジャー移籍組をはじめ、今季から巨人に移籍した梶谷隆幸、ヤクルトに加入した内川聖一のほか、桑原謙太朗(阪神)や藤田一也、福山博之(ともに楽天)といった7人が現役。これに昨季限りでDeNAを自由契約となり、現役続行を目指している石川雄洋と、社会人球界で奮闘する須田幸太(JFE東日本)を加えても、計11人と少ない。球団名がDeNAに変わってからの9年間でこれだけ顔ぶれが変わってしまうのだから、月日の流れるのは早いものだと痛感させられる。また、横浜を本拠地とする前の「大洋ホエールズ」最後の選手は、斉藤明夫(1993年引退)である。

お次は、球団合併という形ながら、2004年限りでチームが消滅した「近鉄バファローズ」。最後のエースだった岩隈久志が昨季限りで引退したため、近鉄出身選手で現役を続けているのは坂口智隆(ヤクルト)と、ヤクルトを戦力外となり、四国IL・香川にコーチ兼任で入団した近藤一樹の2人だけになった。

これに対し、近鉄と合併する前のチーム「オリックス・ブルーウェーブ」の出身者は、すでに現役が1人もいない。2019年に引退したイチローが最後の選手になる。また、阪急から球団買収後、2年間続いた「オリックス・ブレーブス」で最後の選手は、小川博文(2004年引退)である。

ソフトバンクの前身「ダイエーホークス」も、現役組は和田毅と明石健志の2人だけ。また、ダイエーの前身「南海ホークス」最後の選手は、南海では一軍未出場ながら大道典良(2010年引退)、一軍経験者では吉田豊彦(2007年引退)が該当する。

千葉移転を機にマリーンズになったロッテの旧名「オリオンズ」最後の選手は堀幸一(2010年引退)。その前身である「東京オリオンズ」最後の選手は村田兆治(1990年引退)だ。

1974年からチーム名がスワローズに変わったヤクルトの「アトムズ」時代の最後の選手は、杉浦亨と八重樫幸雄(ともに1993年引退)。八重樫はヤクルトアトムズになった初年度(1970年)の入団選手でもある。

西武の前身で、昭和30年代に黄金時代を築いた「西鉄ライオンズ」で最後の選手は、若菜嘉晴(1991年引退)。また、西鉄の後身である「太平洋クラブライオンズ」で最後の選手は、1985年の阪神日本一の立役者でもある真弓明信(1995年引退)である。くしくも2人は柳川商(現・柳川高)で同期のチームメートだったが、真弓は社会人の電電九州で1年間プレーし、球団名が西鉄から太平洋に変わった1973年に入団したことから、両球団の“最後の男”の栄誉をそれぞれ分け合う形になった。

ちなみに、真弓は1977~1978年の2シーズンだけ存在した「クラウンライターライオンズ」でも最後の選手とされている。これは、引き続き太平洋クラブが資金援助を行い、ユニフォームの右袖に同社のロゴマークが付いていたことが理由。クラウンの2年間に限定すれば、これまた柳川商出身の立花義家(1993年引退)が最後の選手となり、偶然の一致とはいえ、興味深い。

最後に、日本ハムの前身「東映フライヤーズ」最後の選手は、岡持和彦(1988年引退)だ。東映~日拓ホーム~日本ハムの3球団すべてに在籍し、日本ハム時代の1981年にプロ12年目で初めてV戦士になった。

1973年に東映を買収した「日拓ホームフライヤーズ」は、わずか10カ月で球団を手放しているので、ドラフト指名の出身者はゼロ。東映買収の際に、系列の社会人チーム・日拓観光が解散したのに伴い、ドラフト外で入団させた4選手が“日拓出身”ということになる。このうち、外野手の大室勝美は日本ハム時代の1976年までプレー。2年目から広島に移籍した投手の衛藤雅登(一軍未出場で1976年引退)とともに、事実上の日拓最後の選手と言えるだろう。
(一部抜粋)

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