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育成6位の最下位指名だった甲斐拓也「毎日クビを覚悟、生きた心地しなかった」

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366: 風吹けば名無し 2021/08/11(水) 10:17:31.81
2010年10月28日ドラフト会議、ソフトバンクは支配下5人、育成6人の計11選手を指名した。
甲斐は育成6位の〝最下位指名〟だった。「同い年で、同じポジション。山下斐紹が一番上で、甲斐拓也が一番下ですからね。それは大変だったでしょうし、よく辛抱したと思います」。見守り続けた母・小百合さん(54)は当時をそう振り返る。

その年のソフトバンクのドラフト1位は、同じ高校生捕手の山下斐紹(28=現中日)。支配下と育成の「立場の差」は覚悟していた以上に、歴然だった。
山下は1年目からコンスタントに二軍戦での出場機会を与えられたが、甲斐がウエスタン戦に初出場したのは2年目に入ってから。三軍が主戦場で、数合わせで三塁を守ったこともあった。日陰の身で過ごした日々は、辛抱の連続だった。希望を見いだせず、1年目と2年目の秋は毎日クビを覚悟。「生きた心地がしなかった」と振り返るように、食事がノドを通らず、心身ともに疲弊した。

甲斐家は2人兄弟で、小百合さんがタクシー運転手をしながら女手一つで育て上げた。育成時代、小百合さんは何度も大分と寮のある福岡・西戸崎を往復した。
「練習休日の前の晩、深夜に迎えに行って。それから家に連れて帰ってご飯を食べさせて。翌日、寮の点呼前に送り届けていましたね」。パンク寸前の息子を励まし続けた。

育成入団の宿命とも言える3年間を経て、2013年11月21日に支配下登録。かつて甲斐はこう言っていた。
「もう一度『育成からプロを目指せるか』と言われても、もう二度とごめんです」。そして、こう付け加えた。「僕の原動力は母ちゃんです」。

今年がプロ11年目。経験がモノを言う特殊なポジションでの苦闘は、これからも続く。「育成の時が一番大変だったかというと、そうでもないでしょうね。壁というか悩みというのは、立場が上がれば、その立場に応じてやってきますからね。ずっと大変だと思います」


>>366
ソフトバンクの下部の争いは人数も多いし精神的にクッソきついっていうしほんま大変なんやろな

>>384
そら疲れた疲れたぼやいてる支配下選手に
ならお前の枠譲れや言いたくもなりますわ

>>394
うーんきつそう